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飯室哲也
私は以前、彼に私信を送った。その内容は、彼がこの一、二年、具体物のオブジェ(物体)について話題にすることと、彼が床の上に自立させた波の立体作品に対する、彼の表
現の達成感についての話題から、彼が基本的には遠ざけきた物量の実質が、これからどのように彼の作品の中に取り入られて、展開していくのだろうかということについて、
私が感じたことについてだった。
彼はこれまでの作品のなかで、物量を無視してきたのではないが、物量を全面こ押し出しもしなかった。それは、アルミ板の立体を支える台座的なテラコッタであったり、彼の
口腔と密着した形態が、アルミの鋳造による棒となり、付加的に立体の中に埋め込められ ていたり、また、それがアルミ板に埋め込められたレリーフ的な作品であったりした。
これらの物量に対する彼の手触りと、彼の話題から私は、彼のアルミ板による初期の作 品に見られた人がたや手形の跡が酸化作用により現像された像が、量を持つものとして現れ、具体物の物を造形することへの道を彼が歩むのかと、短絡的に私は錯覚し、困惑したのだった。
しかし、物の形を対象とした造形への展開は、まだ彼の手触りの内に静かに置かれてい るようだ。 このことと、どこかで関連があるかもしれないが、彼は「壁」という物量に対する彼の
観念と、表現の場との整合性に現在は向き合っている。 彼は「再び、壁」と、描くことを実現する場として、彼と対面し、静止する「壁」とい う実質を対象にしようとする。
そして、彼の「壁」は、平面上に展開されてきた、具象であれ、抽象であれ… 何で あれ、図像が描かれてきた、これまでの絵画の様々な変奏の歴史と密着した、彼の平面に
ついての観念でもあり、彼の表現のひとつの原質でもあるようだ。
彼は現在に至る、彼の立体作品の経過について、その出発は「壁からの発想である」「 壁から形態を導き出す」と繰り返し述べている。形態が壁から床へ、そして空中へと自立
していくその過程は・壁から形態を皮膜として剥離させて自立させていく過程でもあった ろう。
1970年代末に、彼はそれまでの紙の縁に黒インクをつけたローラーを転がし、それを紙上に転写して、インクが抜けた線が現れる作品や、カタカナ文字を切り、アをイに変
える(アの形をイの形に近似させる)等の、意図と結果のアイディアを現していた抑制し た表現から・うすいアルミ坂を素材にして、展示空間の壁と密着した表現へと、彼の表現
を変換させていった。
また、1979年のときわ画廊の個展では赤と青で塗られた細長いアルミ板により、 壁のコーナーを分けて組み合わせて、赤と青の方形の面として壁に配置した。展示空間の壁に、意識的な色面の像を浮かび上げさせたこの作品が、彼には壁と壁が直行する形が、
一方の壁がもう一方の壁から突き出て見えたことの経験から、壁とその前方へと形態が立 体化していく、具体的な契機となったとも彼は述べている。
それはまた、彼にとって形態を表現する(造形する)という作品実現へ傾斜と広がりとなる契機でもあった、 面による平板な方形や細長い楕円形、面を連続してボルトとナットで接合させて、半間
きや包まれた空洞の形へと、面による立体化が様々に実現され、それらの形が複雑に組み 合わされていくのであった。
その面をつくるうすい基盤のアルミ坂は、酸化されて灰色の皮膜を現す。皮膜には、酸化の作業中にアルミ板に付着した彼の油脂跡が残り、アルミ板の酸化が防がれたアルミ板
の素地も残される。
そしてさらに、灰色の皮膜には、コンテによる線描、酸化作用による斑紋、顔料の塗布が加えられていき、動的な表面へと変化していった。描くことの変奏こより視覚的な振幅
も生まれていった。
描くことの関心の増大は、彼の言うところの「絵の具を使って描くのではなく、使わないで描く」という意図により、上記のように、アルミ板の物質感を灰色の色調に変えることや、彼の描く初動的行為も含め、アルミ板上に起こる化学変化による酸化皮膜が、色彩
となることが多用されるのである。
ところで、面により形を作るということは、面の外形を線によって決定しなければならないだろう、形の輪郭を決めなけれぱならない、彼は初期においては方形、楕円形などの
幾何図形や円筒、円錐などの幾何立体と結びつけ、さらに、壁から平面(平板な形)が、 壁の前方に取りだされるにつれ、直線と曲線、その組み合わせにより、外形の多様化を図
り、多様な立体の形成を実際化した。彼のアルミ板を切る制作方法は、線を切る行為と形 を作る造形が、彼が面と線によって形態を感得することと不可分に結びついている。
彼の三次元の立体の造形と、その立体の表面への二次元の描くことの加担は、それぞれ が互いに他を圧する緊張関係を持っている。そして、三次元と二次元のそれぞれの領域で
の形の表現が、互いに同調と破調を繰り返すことで作品にエネルギーが生まれてくる。彼 の作品に接すると、この緊張関係が作品を見る側に向かって迫ってくるのだった。
面の所在を、三次元の空間のなかに浮く自立化を求め、具現化していきながらも彼には一 方で常に、彼が作る面が在るための特定の場、しかも二次元に限定した特定の場としての
「壁」を必要としたようだ。壁から離れていく形態とは、形態自体が壁になることであり 、彼のなかでは、画布が描かれる図像を受け入れる特定の場であることと、同じこととし
てあったのかもしれない。
私は、彼が表現を二次元に限定した最近の平面上の作品に接して、彼の輪郭をこのよう に私は想像するのだった。
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昨年のギャラリー檜での、稲憲一都氏との「distance展」において、彼は、壁の前に、壁に立てかけた立体作品と共に、壁の前に方形のアルミ板とフレスコによる平板状の
面を掛け、その上に色面や立体と同等の形態を描いた作品を発表した。それから、今年のギャラリー檜での個展、すどう美術館での汎展の作品と、それぞれ描き方を変えながら、
彼は平面を対象にした表現(作品)を継続的に発表している。 d i s t a n c e展での作品は、彼が水彩で展開してきた立体作品の元像ともいえる像が、アルミ板の酸化皮膜上に具体像を連想することも可能な赤い抽象図の色面として、面
上に浮く感じで描画され止まっている。(この像は、彼が曲面の立体を組み合わせて造形するなかに、曲面の立体上を滑っていく彼の視線を止めるため、不定形的な平板な形を差
し込んでいるが、その形が導き出されているのかも知れない)
また、色彩と物質が混在するような不確かさを感じさせる青系ののフレスコ画面が、方形のアルミの基盤の横に併置される。異質な様相の形が、それぞれの具体物との違いとし
て横に広がる画面の組立とともに、アルミ板の基盤のなかに形を浮かして描くことで、描くことの実現の差の違いが現れる。
ここでは、描き方の多様化、面の組み合わせの多様化が図られ、二次元上に描くことの 実現が、彼の描くことの可能性に向けて図られている。
そして、彼は描かれる像が、同一面上に地と図が調和する関係に調整されされた全体像をつくる絵画ではなく、平板な特定の「壁」の上に像を吊るすように置き、地と図が分離的な個別性をもつように意図的につよめて、調整されされた全体像をつくる絵画との差別
化を図るのでもある。
今年のギャラリー檜での個展では、「今回はキャンバス上で作る(描く)」と、彼はコ メントしている。アルミ板の基盤が、これまで延々と絵画が描かれてきた歴史を待つキャンバスヘと替えられた作品は、三つの傾向に分けられる。
ひとつは、初めにキャンバスを黒コンテにより等分に分けた補助線を引いた上に、黒コンテで弧状の曲線を主とした線描をする。また、黒コンテをこすらて濃淡もつけられる。
これを繰り返して黒コンテの線と濃淡は、キャンバス上に大小量なり合うように描きだしていく。 その上を白の油絵具と、酸化膜による黒系と青緑系の斑点の
皮膜こより、その形が塗られ、画面中央にモノトーン的に大小の形が重ねられた形態を現 す。コンテの線描や濃淡を、白により消したり、透かしたり、残して部分の形を示しなが
ら、単体的に大きく構成した、内部にふくらみを感じさせる立体感を暗示する形態感を、 強く感じさせる二点の作品である。
この作品では、数個の楕円形が白の形態の中に残され、その間からコンテの線描や濃淡 が強く現れる。これがコンテによる下層と絵の具による上層の前後感を、視覚的に逆転さ
せて変化をあたえている。
もうひとつは、同様に初めは曲線を主として、あるいは曲線と直線を組み合わせた線描 と、コンテの濃淡とにより形態が素描されていく。その上を、赤、青、緑筆の油絵具が、
色面としての形をそれぞれ強調しながら塗られる。
色面の形はその内部に、酸化皮膜の不定形や斑点とコンテの素描の跡により、変化があ たえられているのは、上の二点と同様である。
その内の一点は、赤、青、黄緑の形が下部で広がり、そこから左右二股に分かれて、赤と青で上に広がりながら伸び上がる形が大きく描かれる。
また、色面の形の輪郭の一部は白で塗られ、形のあいだの空間をつぶして面性を強調す る部分もつくられている。
色彩が前面に現れることにより、色面の形はそれぞれ明確化される。描いた色面として の形が、画面中央に大きく構成された形態は空間への広がりを画面上に感じさせる。
もう一点は、下部を赤で、上部を緑で二分しながら、ほぼ同面積の形が複雑に絡み合うように構成する。形態は色相や彩度や明度の差により視覚的な厚みを現している。
初めの二点に比べると、この二点のほうが、色彩の効果により画面上の平面生を保った 形で、上層の色面による形態の様態が強く突出して見える。
また、小品二点は紡錘形系の形が画面中央に残るように、コンテによる線描と濃淡が黒の油絵具で塗りつぶされている。コンテによる線描と濃淡は、中央に残る青の油絵具なか
に帯状の形として選ばれて残されている。黒地が有り、青の形があり、そのなかに帯状の 形が有ると、地と図の関係を重ねていく。
これらの作品から、「作る(描く)」という意図で、彼が平面作品を表現の対象とした 時、表面としての像の有り方を、どのように差別化した表面の重なりとして、実現できる
かということが、彼の主要な関心事となっているように思える。
面のなかに像とそのまわりを描くとなると、地と図の関係を描かねばならないが、彼は 地と図の関係を、調整して調和させて画面の全体像を描くことに対して、図としての形態
の形成の実際化の過程の一つ一つを、それぞれ分離性を保つ形で描き、平面上に図像の全体像を実現化しようとしているのかもしれない。
形態の形成の実際化の過程を分離するというふうにして彼の作品を見ると、まず木枠に張られたキャンバスがある。この基盤から像を分離する。キャンバス上でコンテをこすっ
た濃淡が、アルミ板への酸化作用で皮膜を作る際の灰色の酸化皮膜と対応してるのであろうが、初めにキャンバス上に描かれる形を得るための線描が、勢いのある動的な即興性の
ある素描として、抽象図形が連続し融合することで、全体の形態が生まれてくる下部をつ くっていく。
その上に、油絵の具と酸化皮膜による色彩が、下層の線描を周囲に残しながら、なかに形態の全体を確定していく上層をつくる。 このようにキャンバス上を前方へと、描き方
の違いを含ませながら、下部が上層を支える関係として彼は、形態の実現へと率直に形態 の形成を重ねて描いている。
そして、画面上の上層の形態の下の部分は軽く扱われるので、より面上に形態が吊るされた感じや、面上から形態が出る感じを、見る側に与えると共に、形態の様態のみが在る
強さが平面上に現れてくる。
彼はこれまで、水彩画、フレスコなどにおいても、抽象図像を描く作品を継続してきた が、私の記憶ではそれらは小品であった。また、立体作品の作品のなかにも平板な形として組み込まれてきたのであるが、抽象図象を描くことを二次元上に限定して大きく表現す
るのは最近のことである。そして、今回の作品は絵画(油絵)の形式に密着して制作して いる。それはまた、彼が立体で現した形態を二次元の像へと変換するために、絵画の形式
に加担して、彼の表現の領域を広げているのでもある。
アルミ板からキャンバスに生地は変えられたのであるが、その上に描いていくことは、 これまでのアルミ板の上への関与や立体の造形で現して来たことが、展開されているのでもある。
すどう美術館での作品は、ほぼ正方形の酸化皮膜のアルミ板が基盤となる。その皮膜上 にコンテによる線描で、楕円形係や紡錘形系による大小の形が生みだされていく。それら
の形は、白の油絵具と青緑味の酸化皮膜により縞模様的に分割され、面と線による平板な 形として、円あるいはアーチを描くように展開されて全体を構成していく。
また、大小の形は、重なり合い交錯して集合し離散しながら部分の構成をし、円あるいはアーチを描くような全体の動きに対して、部分への視線を誘う変化を与えている。
もう一点の小品は、白色の皮膜を実質として盛り上げて地と図をつくる、ギャラリー檜 の小品と同様な仕組みで描かれている。
この二点の作品では、油絵具が厚く使われた白色の部分が、実質の盛り上がりをつくっ ているのが特徴的である、私は単純に皮膜の厚みの実質の差が、具体感をもった形態を実現していると感じた。
以前、彼は「平面上にペイントが不透明に止まり、それらの重なりがペイントの層とし て、不透明な色彩としての像として現れ、色料の即物性から離れ、透明な像を生む」、このような意の平面の状態について語ったことがある。
このことと関連して、彼は平面での表現として、彼が平面の基盤に形態像をどのように 貼りつけようかと、色々な描き方を試しながら、彼は描くことで現すことの個別の仕組み
を想像しているとも私には思えるのだった。
彼の平面上の作品について記述しながら、私は、彼が曲線を主とした面の集合と離散によって生みだされる抽象形による造形で、形態を生み出し現すことに、個別の仕組みを持とうとし、そのことを実現するために、彼は主に三次元の空間を対象として表現してきたが、そのことを二次元の空間の中へ素直に彼らしく変換しているとも思えてきた。
そして、彼が二次元と三次元の空間の領域を、分断したり混合することを自由に、開放し て、形態の像を創出する展開を進めていると思えるのだった。
再度、振りかえって彼の立体作品みると、彼の表現の対象は形を得ることにあるだろう。
彼は直線と曲線の輪郭線とその線に囲われた面により、定型や不定型の形の全体と部分 を多様に用いて形を具体化する。形はアルミ板をいう素材により、平板な形から立体まで
実体化される。アルミ板はその表面を酸化されないアルミの部分を残して、全体的に酸化 された明るい灰色の薄い皮膜とがつくられる。彼は板の表裏の皮膜の表面性としての形態
という特異な様態を生みだしていく。
また、この表面に酸化作用や顔料などで、線や面が描く行為の初動性と結びついて描かれて変奏される。
彼はこのようにして形の創出に関わることで、形の様態としてのひとつの典型をつくろ うとしてきた。
そして、形が在る場を、壁から床そして空中へと移動させて、三次元空間のなかで形を 多方向に連鎖させていく。形の表面に沿って、視線を内側と外側へ動的に移動させること
で現れる形態の有りさまの全体像としての典型をつくろうとしたのである。 曲線の多用による楕円形系や紡錘形系による形は、植物の葉や花や実などの形がもつ抽
象形と近似する要素があるが、それは結果の類似であって、彼は表面によって特異な形態 の全体像を創造してきたのである。
それが平面の場に移動してきた時、地と図の関係で生まれる形とその表面を、「作る (描く)」という意図で実際化しているのである。 平面上での図としての形の表面は、油絵具や酸化膜で形の質を描きあたえられる。アル
ミ板では酸化皮膜が実質感をを消していくのであるが、ここでは逆に色料を厚く扱って実 質感を形の表面にあたえたりする。その量の差を生かしながら、図の形に独立性を得てい
くのでもある。
そして、彼が平面上で形の様態を、図として地と分離的に独立させて像の典型をつくる(描く)ことで、形態の像が強度のあるものとして創出されているのである。
小品においては、単形的に図の形を重ねて、表面の質の違う図をつくり、それぞれの形を強く表出させる。
広い作品においては、形の連鎖を主とした構成の元で、形が絡み合いながら形態をつくり、その面上を見る視線は立体的な動勢 をつくる彼のこれらの作品は、特定の基盤の面に形の像が在る状態として、形の表面の様態を「作る(描く)」ことによって表出されている。彼は像の典型を描く絵画に近似しながらも、彼の独特な個有性をもつものへと、絵画の異化作用を計り、二次元上で変奏している。
橘田 尚之
1947 山梨県に生まれる
1972 東京芸術大学美術学部絵画科卒業
<個展>
1973 ときわ画廊 東京 (以後、75,76,78,79,80,81,82,83,84,85,87,89) 1985 ルナミ画廊 東京 (以後、87,92,97…2回)
1986 ギャラリーなつか 東京
1988 ピーエス・ギャラリー 東京
アーティスト・ネットワーク・ギャラリー 横浜
ギャラリー21+葉 東京 (以後、93,98)
1991 アート・サイト 福井
1993 ギャラリー・T A G A 東京
1994 「根底への間い」 村松画廊 東京
1995 村松画廊 1999 「さまざまな眼一100」 かわさき I B M 市民文化ギャラリー
<グルーブ展>
1969 「セルユニオン展」 山梨県民会館ホール 甲府 (以後、70,71,74,76)
1971 「アンフィクサー」 ときわ画廊
1975 「7・29−8・3展」 神奈川県立県民ホールギャラリー 横浜
1976 「EXHIBITION KANAGAWA1976 8/3−8/9」 神奈川県立県民ホールギャラリー(以後、77)
1977 「飯室哲也、橘田尚之、宿沢育夫」展 ときわ画廊 (以後、83)
1978 「飯室哲也、橘田尚之、宿沢育夫、山本正美」展 神奈川県立県民ホールギャラリー
1979 「飯室哲也、橘田尚之」展 神奈川県立県民ホールギャラリー
「セルユニオン展」 山梨県立美術館 甲府
1984 「空間の音色展」 山梨県立美術館 (以後、85)
1986 「3 A R T I S T S 展」 ときわ画廊
「第2同山梨県新人選抜展」山梨県立美術館 (以後、88,90,94)
「第5回平行芸術展ノスタルジアの歩行様式」小原流会館 東京/小原流研修会館 大阪
「LUNAMI・SELECTION・ '86」 ルナミ画廊
「1987第3回 こうふ展」 甲府市社会教育センター
「山口の現代美術4. 今日の立体一素材・構造・イメージ」 山口県立美術館
「描かれた空間と構築的な平面」 ギャラリーQ 東京
1988 「響層一湘南」 藤沢市民ギャラリー
1989 「さまざまな眼一15」 かわさき I B M 市民文化ギャラリー
「抽象彫刻の騎手たち」 福島県立美術館
「第25回今日の作家『かめ座のしるし』展」 横浜市民ギャラリー
1990 「現代彫刻の歩み。、『1970年代以後の表現物質と空間の変容」 神奈川県立県民ホールギャラリー
「ドロ一イング '90原画展」 京二画廊 東京
「TAMAVIVANT '90あいまいな次元一美術の白地図をお持ちの方へ・6つの案」
シブヤ西武シードホール 東京
1991 「SIMULTANEITA 日本現代美術一断面展」 ローマ市プラスキ宮美術館
「今日の作家展:史としての現代」 横浜市民ギャラリー
「ルナミ画廊30周年記念展」 ルナミ画廊
1993 「軽井沢ドローイング・ビエンナーレ」 脇田美術館 軽井沢
1994 「日本現代美術の断面展」 ヒュンダイ・アート・ギャラリー ソウル
「構築される絵画空間」 村松画廊
1995 「視ることのアレゴリー1995絵画・彫刻の現在」 セゾン美術館 東京
1998 「4人展」スカイドア・アートプレイス青山 東京
山梨の現代作家たち 山梨県立美術館
「版による」 ギャラリー檜 東京
2000 「版による」 ギャラリー檜 東京
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