profile  作品 個展より  

個展(2002 3/18〜3/30)

個展(2001年4/16〜4/21)  

個展(1998年3/2〜3/7)

 


<平面>では現前は偽装される

 我々の眼の働きは、生の過程で絶えず自己の内と外との相互作用をもち、記号を形成しては、再び迷宮へ回帰し記号を解体ー再生することによって、自己を更新し続 けるのである。
  おそらく人間も他の生物と同じように未分化だったものが、社会という制度をつくることによって、疑似環境の中で生物とは違った聖-俗、文化-自然といった二項をつくりあげてきたのだろう。 だから何らかのかたちで自然体である生を活性化し、自己を更新する装置が必要だったはずだ。それは書く、描く、読む、見るの行為の内にもあったはずである。しがって生物の擬態がフィールドで展開され、大地なる〈平面〉を根元的母体にしているように、我々のそれは、描き、書く行為が〈平面〉への欲動となってあらわれるのである。
  絵画の〈平面〉は、記号の土台である物質的媒介(基底材)によって実現される。しかし、我々が絵画に眼を向けることは、それが物理的な表面としての意味をなさない。
 

 我々は絵画としてのつくられた〈平面〉を見ているのであり、絵画は我々の視覚が表面の絵の具の層の物質性を乗り越えることによって、〈平面〉となりえるのである。 だから〈平面〉では現前は常に偽装され、それらしく見えることによって我々の眼を欺いているのではないか。
  記号が形成されては解体され、秩序の生成と解体の往復運動が行われている両義的な場、それがテクストとしての〈平面〉だ。

  私(我々)が求める〈平面〉とは、意味や象徴の生産でも、形相の生産でもない。両義的な場におけるシニフェイの解体、シニフィアンの浮上といった差異の戯れの中に身を浸すことである。そして、視るものの秩序を解体し、再生し、迷宮に引き入れることによって、視るものの生の再創造という生命のダイナミズムにたちあわすこと、それが擬態考の概念である。

(論考・擬態考より)


Mimicry

擬態考「芽生え」
H200、W270mm
(紙、檜の樹皮)

Mimicry 擬態考のミメーシス  

 深沢は長いこと絵画における平面の問題に取り組んでおり、この過程から発想されたものが、平面そのものを自ら創り出す、ということに結果した。描出による視覚の問題はカンヴァス対象視する基底的条件へと分け入ったうえで検証されるべきものになったのである。
 ところが、その検証材料が植物とその変貌のスタイルである和紙であったためか、深沢はそこに奇妙な生命のリズムを感じるようになる。あるいは自然との関係における生命の節理といったものであろうか。植物とその変貌のスタイルである和紙は、植物の〈擬態〉としての和紙であり、面を知覚化させるために埋め込まれた線分や線状は動物学でいう身を隠すための条件やイメージである“ミメーシス”へと発展し、からめ手で芸術の根幹的な問題を抵触しだす。(たにあらた・評論家)


擬態考「水のMimicry」
H172.W172.D15
(竹の紙、檜の樹皮、麻など)


水映論

擬態考「水のストローク」
H300.W270
(紙、麻など)
  水の皮膚  

  一枚の紙を創り出すことは、植物が自然の営みの中で解体し、物質が生々流転し、再生する限りない自然のプロセスに立ち会うことなのだ。そこには常に水の元素が媒介している。
水から生まれた植物の変容としての「平面」(紙)とは、羊水のような水の内部にある女性原理に支えられ、美しい空を映し出すイマジナルな白の「水面」なのだ。だから、紙は水の泡から生まれたアフロディーテの肌なのだと想像することも可能だ。
  私たちの眼差しが構築された視覚の秩序を放棄して、その柔肌に触れ、愛撫しはじめるとき、多孔質な白い物質の表面から、無数のざわめきが聞こえてくるだろう。それは生と死のハザマを流れる水のざわめきかもしれない。
  イマジナルな紙とは、限りない夢想を駆り立ててやまない水の皮膚の変容なのである。(深沢修)


 

境界論

擬態考「水の行方」
H200.W270.D100
(紙、木炭など)
 

衰弱体の美学  

  深沢の一連の作品群は「擬態考」と名付けられている。擬態とは生物が自己の身体を環境に合わせて変容させることだ。それは外的から身を守る行為であるだけではない。むしろ擬態は人間にも当てはまるような、「生きる」ということに由来する現象なのだ。
  生きることは環境に半ば同化しつつ、なお自己の同一性を維持することである。それは存在と無のはざまに生じるせっぱつまった出来事だ。擬態とはそのような生の本来の姿だとするなら、それは存在と無の形而上学のかなたにある概念だ。擬態とは存在の闇の中での衰弱体なのである。 この作品群は、特権的な主題を持たないが、さりとて無でもない。
  主題の強度が衰退していく、その残響の世界だ。無数の細部がわずかな生の震動で揺らいでいる。細部は統合されることなく生気づけられており、そのざわめきの反響が空間の陰影を創り出す。
(桜井洋・早稲田大学教授)


擬態考「水の行方」
H300.W190.D200
(紙、白砂)
 

擬態考「山水」
H270.W270
(紙、麻、墨)


擬態考「水の行方」
H270.W190.D200
(紙、白砂)
 

擬態考「水の儀式」
H270.W190.D150
(紙、木炭、水鉢)

 

 

深沢修プロフィール

1948年山梨県生まれ、地場産業である和紙や植物繊維を素材に、独自の造形作品を創る。
現在「擬態考」というコンセプトを元に、芸術と自然、社会との関わりを追求。
山梨、東京、大阪を中心に個展、グループ展、企画展などで活躍中。
現代美術今立紙展準大賞・越前和紙賞、山梨県新人選抜展美術館賞、
読売国際漫画大賞選考委員特別賞などを受賞。
 また、日仏現代美術展(パリ)、ペーパーアートジャパン展(スイス、ドイツ巡回)、
日独紙作家展(ベルリン)、日韓現代作家交流展など外国との交流活動も行う。
 また一方では、音楽、華道、茶道などの他分野の芸術とのジョイントや、工芸や舞台美術などを手がけ、美術を暮らしのなかに生かすため、積極的に社会機能との接点を求めている。

〔主な個展・グループ展・その他〕
1985 読売国際漫画大賞・選考委員特別賞(東京)
1988 第7回現代美術今立紙展・準大賞(福井)
     個展「擬態考」ギャラリー檜(東京)
     第3回山梨県新人選抜展・美術館賞(山梨)
1989 日仏現代美術展(パリ)
     ペーパーアートジャパン展(ベルリン・バーゼル・ケルン)
     第2回INO紙のことば展(いの町紙の博物館・高知)
1990 「紙ー自然(日独紙作家交流)」展(ベルリン・テンペルホーフ文化局)
   「共鳴」(紙と音による空間造形の試み)山梨大グループ投企主催・甲府御獄文芸座
1991 シュスラーチェロコンサート舞台美術(山梨)
   「活けるまたは水の夢」(野外オブジェ) 1991山梨ワインフェスタ
1992 日韓現代美術作家交流展 ABCギャラリー(大阪)
     紙の造形展 不二画廊(大阪)
1993 個展「水の変容」ギャラリーWin(山梨)
     個展 不二画廊(大阪)
     個展「和紙の造形」ギャラリー繭(東京)
     都市環境アートフェア(京都リサーチパーク)
     丹南アートフェスティバル(福井)
     朝日町街づくりシンポジウムステージセット(愛知)
     山梨看護学校コンサート舞台美術(甲府)
     装うの道展示会参加(装道) 
     アートフォーラム六本木(東京)
     今立現代美術紙展・越前和紙賞(福井)
1994 個展「水の記憶」ギャラリー三彩洞(山梨)
   「偏在する波動」展 メトロポリタン美術館(マニラ)
1995 個展「生々流転」ABCギャラリー(大阪)
     個展「水と蘇生」白根桃源美術館(山梨)
1996 個展「深沢修和紙の造形」大丸百貨店・ギャラリーてん(東京)
   「黒沼ユリ子コンサート」舞台美術 富士レークホテル(山梨)
1997 山梨グッドデザインフェア・最優秀知事賞 アイメッセ山梨(山梨)
1998 山梨の作家展 山梨県立美術館(山梨)
     個展「基底材の自立」ギャラリー檜(東京)
1999 「和の紙、韓の紙」展 静岡ギャラリー(静岡)
2000 個展「境界論」ギャラリー檜(東京)
     個展「和紙の造形」ギャラリーすどう(東京六本木)
   「紙のエネルギー」展 ポローニャアカデミー(イタリア)
     インスタレーション「蘇る水」山梨県情報プラザー
2001 個展「境界論」ギャラリー檜(東京)
その他、個展・グループ展など多数

〔論考・講演など〕
1987 表層への欲望{平面の豊かさ、その前哨」
1988 論集「擬態考」
     講演「地方文化とベルリンの壁」山梨大学グループ投企
1990 はざまの文化を問うペーパーアート(アート90)
1991 講演「伝統的素材に現代を創造する」山梨県立美術館
1992 講演「自然と対話するアート」市川アカデミー
     論集「ハザマ」
1994 論考「生きた皮膚の復権」ワークショップ「紙で創る」山梨県立美術館

 

 

ギャラリー檜 Gallery Hinoki
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