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| 長 重之展 |
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| 会場/ギャラリー檜 | ||||||
| 会期/1995年3月13日(月)-3月25日(土) | ||||||
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午前11時30分一午後7時 |
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とりあえず、床とポケット 平井亮一 1960年代から70年代にかけて物体表出は、いちめんでは一種のダ ダ的還元であった。物体と観念との相互規定その実践形式をそれと してみとめることこそが、美術の発端といえるのなら、ダダ的還元 は、物体と観念それぞれへの下降・解体であり、それぞれの確認に ほかならない。 当時、この物体表出という時代の流れに悼さした長重之ではある けれども、かれの場合はその設営で日常身辺のさまざまな物体を置き、
かれの営為のトータルな基底をそこにみていた。したがってそこか らの歩みは、物性の局面をかえながらなおも物体表出の実践形式を 探ることであり、もうひとつは、いまいった基底にふれながら媒体
形式を分節し、しぼりこむことであるだろう。 長が1970年代後半にむかえた「視床」への転向はそうしたもので あったにちがいない。以後このシリーズは80年代をとおしてつづけ られた。その間に仕組みのかたちや色彩に変化はみとめられるけれ ど、代表作にかぞえられる「視床一赤」、同題の「黄、クレー(い ずれも1983年)などのように、ベニヤ板の切りとりをおもてに、断 熱材で厚みをつくり、布張りの表面をアクリルえのぐで彩色すると いう方法が基本になっている。
組みこまれるベニヤ板の多くがほぼ方形で、そのなかに少数の弧 形がまじって隣接しあうその隙間には生地の板やその小片がのぞき
みられたりおきあがったりしている。そしてそうしたものの総体が、 ほぼ方形の枠組みをなし、そのなかでいまみた板相互の影と色彩と の相乗がおもな知覚の現実になっている。 あきらかに、あの物体表出を基底にした視覚的な分節、つまり70 年代の設営が内包していたもろもろの要素のきりつめ、かたちへの
純化に由来するひとつの帰結をこの「視床」が示している。だが、 これらの作品が、かれの設営にみとめられたこだわりの景観を起源 にしていることに注目したいと思う。 1982年には、生地のベニヤ板を組んだ作品がつくられた。しかしシリーズのとっかかりは、木や鉄のほかにフェルトなど色つきの物体の集積が、色の塗られた素材によるレリーフにつながる1981年の 「視床一3」のほうであろう。これはどこかロバート・モリスのフ ェルト作品を想起させるけれど、床上の物体の並びは、長が70年代 をとおしておこなってきた物体表出の景観から抽出された統合の形 式である。ちなみに、かれのこうした媒体形式の回帰は、状況とし てわが国80年代の絵画復興、そこに派生した“立面構造体”つまり 立体絵画の“ぬえ”的こころみと似ていて非なるものだ。 *
物体が形成する空間に色彩がからむと、そこに出来するさまざま なイリュージョンは、それじたいの生成と進展への理路をはらまず にはいない。それは、ある臨界点に達するとついに絵画への欲望に 転ずるだろう。かれのレリーフもまた、その仕組みからして、そう した危機と無縁ではありえない。しかしかれはべつの方途をとった。 それは、事物のもつ意味からかたちを得ることである。 たとえば、土地の測量図に由来したとおぼしき図柄をレリーフに した「測量士の庭」(1986年)の連作、ここでかれは、70年代初頭の
設営にかいまみた身辺景観の外延上で、それをもっとわかりやすい かたちにしたおもむきなのだ。そして、なにか地図を想像させる奇 妙なかたちをした一対の板の上に、色面とトゥローインクを混在させた連作「笑い続けるニツの州の間で」(1990年)、凹凸のある変形
板に土地の区画図からとったと思われるかたちを塗りわけた「K氏の境界」(1994年)、などといった近作になると、かっての設営かひいていた、身辺や景観にかかわるこだわりは、あけすけに図形化されるにいたっている。 これらに、いぜんとして手ばなさないかれのパフォーマンスを加えるなら、かれのかっての物体表出その設営という基底は、その外延上で錯綜しながらもそれぞれの媒体形式にいそぎ回帰しようとし ている。その意味ではずっと一貫していることにあらためて気づく。 とはいえ、もともと、外見とうらはらにかれの営為は観念と物体の相互作用、その統合実践のかたちこそが、美術という表出をあらしめるのだから、ことがらはそこに生ずる媒体形式の問題に帰する ほかない。これをこえることの不可能性にすべての可能性がある。 70年代のダダ的還元が端緒になったかれのさまざまなこころみもま たこうして、媒体形式の問題に逢着せざるをえなかった。そしてむ ろん、ことの理路にしたがってそこにべつの媒体形式の創出をみる 場合も十分にありうるだろう。じつはそうしたしぼりこみが、たと えばかれならではの絵画へといざなうのか、それとも設営物へとみちびくのか、そしてさきほどみた、象徴的な設営物への転進がはた して後退を意味するものかどうなのかと、かれの90年代の作品はかれ自身にむかい間いかけている。 * さて、じつに諧謔昧のある作品「ピック・ポケット」にふれてお かなけれぱならない。
前期のものが、オルテンバーグのおこなった日常品の拡大、あるいはクリストの梱包と被覆を連想させるのに、後期の場合はまさに かれ独特のものというべきで、おそらく過去の物体表出にふくまれ ていた要素がこの袋もので集約されることになった。包みこみ、覆い、枠どり、方形、布、景観などなどカテゴリーのちがうもろもろ の要素が、こんどは機能・形体一如の造作物として再生されたので ある。かれの物体表出という基底、そこでのこだわりはここでもひとつべつの活路を見出したといえよう。 かつて物体表出でくりかえされた方形の物体の集積は、こんどは 同じ方形のポケットになった。そしてそれぞれがボタンと蓋と折りかえしをもち、衣服からはなされてひたすらその機能と形体をひと びとにさらしているにすぎない。チャックをあけた大ポケットのな かにはいくつもの小ポケットがあり、いっぽうポケットはただの布 きれのようにカギにかけおれもする・・・・。ポケットにはボタンや折 りかえしのほかに、かならずひもがつき、袋のなかは空であったり なにかが納まっていたり、そしてむろん、しわやふくらみも無視で きない。という次第で、ここでは容れものとしての機能と形体との ありようが拡大・縮小されてひたすら指示されるのだ。白いだけのがそのことをいっそう助長している。 “すり”はポケットに執着し、こともあろうに長もまたそれに執着する。かれによるとポケットはたとえば 「所有、欲望、・・・愛欲、
生殖器」などにむすびつくという。しかし、ポケットが本体からひ きはなされとりだされたとたん、その名辞をめぐる意味は宙に浮き、 いっぽうで律気にミシンの縫目をつけたこの製縫物品の排列とその
反復は、それじたいの機能・形体にしたがって一種の視覚的な整合 を得る。 |
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