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稲憲一郎 1947年 東京都練馬区生まれ ひざしが葉の表をあざやかな緑の光りに変えその下に濃い陰をつくる。色彩や輪郭を滲ませ同時に目に入ってくる。物が事に変わる瞬間かもしれない。描くことが「何を」を画布の表層から奥へと押しやるとすれば、「どの様に」描くかは色や形が画布の上に置かれ、それらの現れを瞬間、瞬間に受容し決定する作業の堆積、画布や絵の具といった物のざらつきの中で、表層の出来事に引き戻す。 |
坪田菜穂子 1982年 神奈川県川崎市生まれ 2007年 多摩美術大学大学院美術研究科終了 逆説的に中心のその周縁にあるものを みる ことによって
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北村周一 1952年 石川県生まれ 《substance》桃花峡より、N氏へ。「物資」に着目しながら、画布と絵の具のありようを模索するこころみも、実のところぎこちない作業になりがちであり、長いトンネルのなかしばし拘泥を余儀なくされていましたが、「速度」におもい至ることができたからでしょうか、幾分先が見えてきました。なるほど、アンチノミ−はひとつ在所にあるのですね。たとえば死と、生のように。 |
藤井博 1942年 岐阜県生まれ [浮遊する視線性は・・・]視る。見る。私がみる。ある何物かを、またはぼんやりと何となく前方、周囲を。この私の中にその個人性のみでなく、その外大勢の人々の目が融け込み含まれている。私と私以外の私、そしてその全体の私。みること、みえることには、私と私の間、外界との間に、ある種の視線性が浮遊している。視線は浮遊し、ぬい込まれ、または、ずれる。 |
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橘田尚之 1947年 山梨県生まれ 絵画をキャンバスの上に繋ぎ止めておきたいので杭を打つことにした。そこでキャンバスの上で金属粉錆びさせて色を作った。描くことは奥行きを作ることでもあるので、ずぶずぶと安定が悪い。けれども錆の部分は地表にあるもののようにそこに留まり続けると思う。立体の場合、その表面を錆びさせることはものが持つ深みを消すことでもあるから。 |
みわはるき 1947年 北海道札幌市生まれ 輪郭はひたすら美しい。それはどちらにも、背景にも形態にも属さず、同時にそのどちらでもあるという、在り方で、私を誘惑する。魔術などあり得ない、でっち上げだといくら抗議したところで、たとえ何万言を費やしたとしても、何の意味も為さない。私の欲望は聞く耳など持たない。眼はすでに何も見ていない。一瞬の出会いに賭けて、私の手がそれをなぞり続けるだけだ。 |
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さとう陽子 1958年 東京都品川区生まれ 絵が好きだ。とても。 |
森岡純 1949年 島根県生まれ 出来るだけ、何も無い所を撮りたい。物語が生まれないもの、特別でないもの、季節が分からないもの。光と影は、撮れてしまう、その面白さもあるが、出来るだけ避けたい。撮ったものは忘れることが無い、その重なりが、写真を作るのだろう。街を歩く、写真をとる、見ることは疲れる、撮ってプリント、そして見る、その時には次の風景を見ている、プリントをした時点で事は、終わっている。 |
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視像のゆくえ 平井亮一 のっけからラカンの名などくちにするのも気がひけますが、たいしたはなしではありません。 かれがれいの「無音識」についてある公開講座ではなした内容を、なん年もまえに雑誌で読ん
だおぼえがあります。むろんくわしいことは忘れている。それでもかれが「無意識」について、 それがことばとして「構造化」されていることのゆえんをいくつか比喩をかさね説いていたこ
とはおぼえています。じつはそのなかでかれがふと口にしたある状景のことだけ、あざやかに わたしの頭に残りました。それは、かれが当の講座のために宿泊したアメリカはとある都市の
ホテルの窓ごしにたまたま見おろした、たしか、朝あけにまたたきつづけるネオンサインや、 車のゆく街頭の眺めについてです。寝おきの窓からの眺め、身じたくをはじめたかれのまなざ
しをふと領したこれこそが「無意識」なるもののあらわれではなかったのか、などとかれがく ちにした、講述のなかのつぶやきにも似たくだりです。それをうけかれは、そうしたものの微
細なあらわれのもとで消されうしなわれているなにかをさがしもとめるそこに「主体」は存在 する…などといった趣旨のことをはなしていたようにおもいます。
こうして、無明ともいえる意識の裂けめもまた、外がわから介在させた膜によって視覚にも たらされる変容、それゆえの二様化のあいだでことほどさように多様になる。ひいては、その
具体的な次第をひとびとは当の膜とのかかわりにみることになります。むろん、たまたま窓か らみたネオンサインや街頭が意識の隙間のようなものだとしても、いちど紙など膜にからめと
られたネオンサインや街頭はやはり膜との対応でしかないべつの出来事にちがいありません。 むしろ、こういってもよい、このような膜を介入させることが、眼と現実世界とのかかわりに
そのつど、それぞれ局面をつくり未知の構造をもたらすのだと。あの洞窟の比喩に通じていま す。そしてこの膜はつねに実際に手であつかえる物や仮設される機能でなければなりません。
こうしたものをアルベルティは文字どおり「ヴェール」といい、何年ほどかまえにロザリンド ・クラウスは「グリッド」などという機構を視座の設定にあてがい自己言及的なモダニズム絵
画の一面性を疎外しました。これら機能の介在による視ることの変容、そのあいだにかならず うまれるさまざまな屈折やゆがみは、いずれも手もとに紙、布、あるいは板を置いてそこに目
のまえの対象をなんとか関係づけることに由来し、ことがらはかかって有形無形の機能の介在 と、いっぽう机上の紙などと、まさに両義的な事態としてあります。いや、このような両義的
な事態がじつは膜であるといってもよい。こうした構えはデューラーの版画でもとうにみてと れることで、そこでは、しっかりできた文字どおりの格子板を目のまえにたて、そのむこうに
「横たわる裸婦をえがく男」のいる机の上に、線で格子どられた紙のようなものがすでに置かれています。 視覚のとどまり、それにみちびく堰が、世界をまえにする媒体のすえ置きであるとして、むろんこれはべつの視覚とその機制の発覚を意味し、世界はそうした機制の外がわにまわります。
身体は相応の手法をとおして世界のこちらがわにも参入するでしょう。セザンヌがりんごをみ ながら「絵のなかで考え」たのもそうしてであるにちがいありません。このような機制をわた
しは統合とそのゆらぎなどといいましたが、メルロ=ポンティのあげた「交換体系」もまた、 画布、えのぐ、筆だのをあえて眼とかかわらせるかぎり、煎じつめれば事態はそうした機制の
みきわめになるほかないようにおもいます。それだけに、身をつつむ世界をまえに視覚を媒体 とかかわらせるのは、かれのいうように「存在の網目に巻きこまれ」るばかりではなく、むしろ画面とかかわる統合の網目にとらわれることだといいたいくらいです。 クラウスはピカソのあけすけな官能作品を事例に、欲情を律する「パルス」だの「ビート」 だのを彼女のいう「グリッド」にからませてみましたが、ピカソのこうした外部の参照は媒体 形式のありようをしかるべく分節してはいても、まなざしが画面でのこのできごとからもとの 外部つまり肉体にぬけかえることなどありえません。そこではそうした参照ゆえにひきおこされる媒体形式の分節の綾と首尾のほうがかろうじてみるにあたいするものとなるのでしょう。 仕合も生活も身辺の外部は、統合の実践形式のほうをこうして照らしだします。 そうでなくても統合のゆらぎは、その移り、ずれなどにも、それが無意識に相当するかどうかはべつとして意識の裂けめをとどめずにはいません。そこでの知覚のたゆたいになんらかの
眼の抑圧がとかれるのであれば、これだって媒体をとおした視覚とのかかわりにはじまったことです。このかかわりはしかし、媒体の恵みであって呪縛でもある。それでも、統合はほんら
い、これを内がわからつき崩す契機もはらんでいますから、この膜をときには軽がるとすりぬ け、ひろやかな世界にむかうすべもわたしたちにはきっと要るでしょう。媒体をすてて街にで
よう、というわけです。 絵画にあって「世界はまだまだ描かれなけれぱならず、世界が完成されてしまうなどというこ とはいつまでだってない」とメルロ=ポンティはいいました。それもまた、ともあれ統合の恵 みに身をあずけてのことであるにちがいありません。 |
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